2022年05月16日

オシャレ

 お洒落な若い男性が多くなりました。東京でも、お洒落の傾向は、街によって違うように思います。例えば、新宿と渋谷では何となく違います。下北沢と町田も、同じ小田急沿線なのにやはり雰囲気が違うように思います。原宿と表参道は、エリア的には正に隣同士ですが、オシャレの特徴は明確に違います。何処の街でも、個人の好みがその街並の雰囲気にマッチしたお洒落な若者を見ると、素敵だなと思うのです。
 学生時代、友達に「お前と歩いていると恥ずかしい」と言われたことがあります。その理由は、私の恰好が奇抜だからでした。奇抜といっても、マキシの丈のオーパーを羽織るか、厚底の靴(今から五十数年前も今のような厚底の靴が少しの期間出回っていました)を履くとか、長目のベストを着るとかでしたから、本人としては、それほど奇抜とは思わなかったものでした。私が着る物を母がよく作ってくれました。だから、誰も着ていないような服が多かったこともあったと思います。私の学生時代はアイビーとかミリタリーが主流だったのですが、私はそれにはあまり関心がありませんでした。当時から、流行は他人が作ったものという意識が私にはありました。今年のカラーは◯△□だ等と言われても、それって誰が決めたのだと、少し反発してしまう自分がいました。今でも、その考えは健在です。
 つまり、私がオシャレで素敵な若者だと思って見る人達は、独自のファッションスタイルを持っている人です。
 どんなにオシャレをしていても服 服をその人らしく工夫して着こなしている若者を、私は素敵だと思うのです。
posted by nikki at 07:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月09日

殻を破る

 雛鳥は、卵の殻を破ることによって、此の世に生まれ出る。殻に閉じ籠もっていては、太陽の光を浴びることは出来ない。しかし、殻に守られて溜め力で外界に飛び立つ。
 茶道を始めて50年以上となった。点前はもとより、細部に至るまで様々な決まりことがある。その決まり事を学び、形を覚えようと思いながら月日を過ごした。なるほど規則通りにやっていれば、間違いは無い。しかし、茶道を始めて半世紀が過ぎたあたりから、このままで良いのだろうかと自分に問う自分がいることを認識し始めた。そして自分の茶の形を模索するようになった。この気持ちが、殻を破ると言うことの嚆矢なのか。伝統的なものの殻を破ることには、多くの誹りを覚悟しなければならない。殻を破ると言うことは、形を破ることになる。破った形が別の形に生まれ変わらなければ、単なる破壊行為でしかない。50年以上続けて来た茶という道の殻を抜け出し、自分の形を作ろうと、今私は藻掻いている。
posted by nikki at 06:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月02日

夜汽車

 私が大学生の頃、青森から上野のまで急行列車で12時間ほどかかりました。「十和田◯号」という名前の列車で、中学の修学旅行もこの「十和田」でした。生徒は勿論、引率の先生もボックス席に生徒達と一緒に12時間座ったままで、夜汽車に揺られるのです。子ども達は体が小さい分、少しは楽だったでしょうが、大人の先生方は、きっと莫大に疲れていたことでしょう。蒸気機関車でしたから、トンネルに入ると車内が煤臭くなり、実際窓の隙間から煤が入っていて、鼻をかむと、黒い色をしていました。
 私が、東京に行ったのは、修学旅行より数年前。母と二人で、やはり夜行の急行列車「十和田」でした。窓側の席に私が座り、通路側に母が座りました。私は、窓外をずっと見ていました。夜の中に街の明かりが流れ、小さな駅を素通りしました。田圃や畑、山中などでは真っ暗なのですが、車窓から洩れる光りに線路沿いのほんの一部ですが、薄ぼんやりと浮き上がって見えました。見ても見ても飽きることがなく、列車がトンネルに入ると暗い窓に自分の顔が鏡に写っているように見えました。そんな自分の顔が、悲しそうだったのをはっきり覚えています。その時の旅行は、父と母の諍いが原因で、母が私を連れて東京の知人を頼って家を出て来たのです。悲しそうな母の隣で、私も悲しい思いで夜汽車に揺られていたのを思い出します。父も母も若かったんだなあと、今は懐かしく思い出されます。
posted by nikki at 09:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月25日

言葉

 先達て用事があって或る小学校を訪問しました。その時、全校集会が行われていて、インドから来日したAET(英語指導助手)の紹介がありました。今日に至って、小学校にもAETが配属されていることを知りました。言語は小さい時から触れることで自然と身に付くことが出来るのだろうと思います。
 ロシア語の同時通訳の方が「どんなに学んでも、外国語は母国語を越えることはできない」と言っていたのを思い出します。
 英語を初め様々な外国語を身につけることは、これからの時代、欠かせない事であると思いますが、それと同時に美しい母国語を使えることは、自国民にとって最も大切なことであるとも思います。日頃から美しい母国語を使うように心掛けたいものです。人間ですから諍いをすることもあります。怒ることや叱ることもあります。そんな時に美しい言葉などと考えていられないでしょうが、こんな時は、せめて汚い言葉を発しないように心したいものです。口汚く罵り合っている時は、その言葉が自分に返ってくることを肝に銘じたいものです。
 言葉は、人を勇気付けることもあります。そして傷付けることもあります。自分が発する言葉が、美しく豊かな日本語でありたいものです。
posted by nikki at 08:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月18日

百花為誰開

 まだ学生の頃、茶席に掛ける掛け軸を買いたかったのですが、少ない小遣いで買えるのは色紙が精々でした。
 そんな若い時代に求めた色紙の中に「百花為誰開」(ひゃっか たがために ひらく)と書いたものがあります。金砂子を撒いた華やかな色紙に墨書されたものです。50年近く前に買った色紙ですが、様々な花が咲き競う春になると、今でも飾りたくなる色紙です。
 この言葉は禅語ですから色々な解釈があると思いますが、私は、こう解釈して飾ります。
「全ての花は、誰かのためにと思って咲く訳ではない。勿論、己の為とも思っていないだろう。花は、ただただ無心に咲く。だからこそ真に美しい」
 年を重ねるたびに様々な思惑を身に纏い、純真さをなくして薄黒くなって行く私に、無心になって何かに取り組むことの美しさを大切にしなさいと、この色紙が語りかけてくれるような気がするのです。
posted by nikki at 10:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月11日

一つずつ

 若い時は、色々なことに焦っていました。仕事も彼方此方に手を付けながら、二重・三重に並行させてやり、どれも中途半端だったように思います。歩き方も早足で、階段は常に2段ずつ昇っていました。そんな風にすることが、手っ取り早くて要領の良いことだと考えていたところがありました。数字に例えれば、2の次に4を、その次に7を数え二つ飛んで10にするような感じです。しかし物事の道理は、1の次は2でその次は必ず3なのです。そして4・5と一つずつ数えて10になる当たり前のことに、この年になって初めて思い至ったのです。
 若い時のせっかちな性格はなかなか直るものではありませんが、今は、一つ一つ丹精して物事を為して行くことの大切さに気付き、逸る自分の気持ちを落ち着かせる様に心掛けている私です。
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2022年04月04日

昼風呂

 小さい頃、私の家には風呂がありませんでした。友達の家にも、風呂がある方が珍しかったと思います。
 2・3日に一回は父と一緒に銭湯に行きました。父が背中を洗ってくれ、私も父の背中を洗いました。父の背中がとても大きかったことを思い出します。体をきれいにしてから首までしっかりと湯船に浸かり、父と一緒に100ほど数えるのです。風邪をひかぬように体を十分に温めようと、父の数字の数え方はゆっくりだったと記憶しています。風呂から上がって服を着ると、父は瓶に入った林檎ジュースを買ってくれました。その時のジュースの美味しさといったら、世の中にこれ以上に旨い飲み物があるだろうかと思ったほど程でした。熱い湯に長い間入っていたので、体の水分が不足していたことが、その旨さを格別のものにしていたのでしょうが、あの時の林檎ジュースを思い出すと、今でも口の中に唾液が溢れます。洗面器に湯道具を入れ風呂敷に包んで持って行った記憶があります。その風呂敷は、白と紫の染め分けで、葬式の引き物を包んだものだったと記憶しています。
 今日は花冷えの一日でした。外出する用事もなく家にいたので、昼三時頃から家風呂に入りました。陽の高いときに風呂に入るのは、なにか申し訳ない思いがしますが、たまの贅沢に体も心も癒やされました。そして夜はのんびりと晩ご飯を食べ、テレビを見ながら寛ぎ、また明日から始まる1週間への活力を貰うことが出来ました。
 たまには、昼風呂もいいもんですよ。
posted by nikki at 11:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする