2018年08月12日

太陽と北風

 皆さん、よくご存じのイソップ寓話の中に「太陽と北風」というお話があります。旅人のマントをどちらが脱がせることが出来るか、太陽と北風が競い、力尽くでマントをはぎ取ろうとした北風は失敗しましたが、優しく微笑む太陽がその温かさで旅人のマントを脱がせることが出来たのです。誠に良くできたお話しで、「柔はよく剛を制す」を教えています。しかし、如何に太陽と雖も、その温かみが限度を超えてはなりません。この頃の猛暑、正に人間が耐えうる限度を超えています。風や波そして雨によって何かが破壊されたというような悲惨な状況を目にすることはないのですが、この暑さは災害としか言いようがありません。「災害」とは人に災いし害を及ぼす自然現象のことなのですから。
 何事も過ぎたるは及ばざる如し、限度を超えるものには、細心の注意が必要なのです。
 人を教え諭すことにも、それは通じます。優しいだけではいけません。しかし、厳しいだけでもいけません。優しさが必要な時、厳しさが必要な時、それを見極めてこその教育だと思うのです。
posted by nikki at 07:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月06日

年齢的ステロタイプ

 こうだから、こうだ。人はよく、物事を一括りにして考えがちです。その方が、手っ取り早く皆を納得させられるということがあるのかも知れません。数の上から見ると確かに、その傾向の大なるものがあるのかも知れませんが、人間は百人百色、ある条件で全てを括ってしまうことは出来ないと思います。特に、年齢だけで人を一纏めにしてしまう傾向があります。例えば電車の座席。お年寄りに席を譲らずに座り続ける若者を思い遣りがなく自分勝手だと回りが思っても、その若者は夜勤明けかも知れないし、傍目では気が付かない障害や極度の疲労状態にあるかも知れません。また、お年寄りの中には、まだまだ元気だと自負している方が電車で席を譲られて、がっかりしてしまうと言う場合もあるでしょう。
 この頃、高速道路の逆走事故が多発しています。その事故のたびに、高齢ドライバーは危険で、認知症傾向にあるなどと言われますが、高速道路での逆走事故を起こしている人の年齢割合は、65歳以上とそれ以下では大体半々なのです。
 確かに年齢に応じて自分の身体的な衰えを確認しなければなりません。それは、その人のなすべきことですが、年齢だけで他人を、こうだと一括りにしてしまうことも良いことではないと思います。そうは言っても高齢者は、やはり体力的には若い時のようにはいきません。より精神的な智恵的なそして経験的なことで若者に頼りにされたいものです。
posted by nikki at 06:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月30日

疲れた花

 朝の9時半頃、新宿歌舞伎町を通ることがよくあります。昨夜の、いや今日の未明、いや朝日が昇る頃まで、男女の駆け引きが渦巻く夜の世界。その中で咲き続けていた花が、疲れ切った姿で、花屋の店先に帰って来た姿に、何時ものように出会うのです。夜の世界に咲く男と女の徒花のように刹那に咲き乱れた花は、朝の光に萎れてしまうのでしょうか。そして歌舞伎町という不夜城に、その短い命を捧げるのでしょう。 朝の光を待ち望んで咲いた花は、疲れ切って朝の日差しに消えて行くのでしょうか。
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2018年07月23日

参議院定数6増

 参議院の定数が6人も増になってしまいました。一体、何を考えているのでしょうか。極論を言えば、参議院はなくても良いとさえ思っている私には、税金の無駄遣いを更に増やしたとしか思えないのです。国民の中で、明日どのように生きて行けば良いかと、途方に暮れている人達が大勢いるというのに、政治家達のご都合で、またも大枚の税金を無駄遣いしているように思えてなりません。
 選挙活動が始まると、就職活動をしているとしか思えない政治家達。政治を食い物にしているという印象です。選挙演説も実のない空論ばかり。誰にも清き一票を入れたくないと痛切に思うのです。
 もっと金のかからない政治家でなければなりません。政治家が世襲のような状態になっていることも異常です。それを支えている後援会という組織も見直さなければならないと思うのです。政治家達は、口を開けば国民のため国民のためと偉そうに一つ覚えのように唱えていますが、参議院定数6増は、国民にとって一体何の利益があるのでしょうか。甚だ疑問なのは私だけでしょうか。
posted by nikki at 06:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月16日

二度咲きの箱根空木(はこねうつぎ)

 本日、町田で茶席を持ちました。半年前から決まっていたことなので、手持ちの物で道具組みを考える余裕は充分にありました。常日頃から、自分の目に適った物を集めています。勿論、分相応の価格で求められる物が第一条件です。多少値の張った物を買った時は、数ヶ月は道具屋を覗かないことにしています。見ると欲しい物が出てくるかも知れません。しかし、懐具合を優先して考えなければいけないので、見ないことに越したことがないのです。そして懐に多少の余裕がでてきたなら、また道具屋を覗くのです。そのようにして苦労しながら集めた道具を茶会のために取り合わせることは、茶席を持つ者の大きな楽しみであり、喜びでもあります。道具組みは前もって計画がたてられます。お菓子も季節にあったものを前もって菓子舗に頼むことが出来ます。しかし、花だけは、そうはいきません。茶会の朝、庭にどんな花が咲いているか。その日になってみなければ分からないのです。7月の我が家の庭には、ほとんど花がありません。木槿は、若木で未だに花を付けず、桔梗は暑さに萎れ、ホトトギスは花芽さえ出ていません。どうしようかと途方に暮れていました。その時、蹲いの横にある箱根空木に花が付いているのを見付けたのです。この花は5月頃に咲き盛りを迎え、また1年後に咲くのです。しかし、その箱根空木が今年に限って二度咲きをしてくれていたのです。私は、茶会の朝、心を込めて数枝を切りました。その箱根空木は、手桶の花入れに活けられ、誇らしげに喫客をもてなしてくれました。
posted by nikki at 10:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

 先日、皿の夢を見ました。その皿は、親が生きていた時から使っている丸い中華皿。龍や鳳凰そして卍崩しの図柄が描かれた、普段使いの直径20pあまりの丸皿です。今でも毎日のように使っているので、きっと10,000回以上は目にしていると思います。いや、もっとかも知れません。何十年も大して気にもせずに使っているので絵柄が少しぼやけていますが、罅1つないのです。
 また、我が家には身に余る皿があります。それは、人間国宝の島岡達三氏の丸皿です。気の張ったお客様がおいでになる時、フルーツや上生菓子などをのせてお出ししています。しかし、こちら皿の夢は見たことがありません。愛着の度合いは、普段使いの中華皿が勝っているのだと思います。
 死んだ母がよく言っていたことがあります。どんなに立派な着物を着た女の人よりも普段着の母親を子どもは愛する。正に言い当てていると思います。
posted by nikki at 08:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

男友達

 ここ二・三日、向田邦子の作品を読み返しています。何度目になるのでしょうか、五・六度は読み返しています。作品によっては何十回、百回近く読んでいるエッセイもあります。しかし、読み返すたびに何かを発見し、胸がじんとくるのです。
 今朝、出勤の電車の中で、「夜の体操」というエッセイを読み終えて、ふと気が付いたのです。この中に出てくる友人を、私はずっと女性だと思っていました。しかし、文の流れの端々に男性の匂いを嗅いだのです。五・六回は読み返しているエッセイでしたが、そう思ったのは今回が初めてでした。初めてですが、何か確信めいたものさえ感じてしまったのです。文中にある何気ない会話「ことではないのかなあ」この言い回しは女性ではない。針金細工のような不器用な動き、このフレーズで友達は男友達であることは紛れもないことと強く思えたのです。そしてこの友達に深い愛情と、明日をも知れぬ恋人の存在を匂わすように、沈丁花の甘く切ない香りを文中に漂わせたのだろうと、今頃になって思い至ったのです。
posted by nikki at 06:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする