2016年12月05日

能ヶ谷通信

映画「この世界の片隅に」を観て


 派手な映画ではありません。オシャレで格好のいい恋愛映画でもありません。時代も第二次世界大戦前後の市井の物語で、華やかさはありません。
 しかし、心に深く沁みる映画でした。観終わった後に、切ない感情と優しい気持ちが徐々に込み上げてくる映画でした。
 戦争を声高に非難することもなく、原爆投下に激して憤ることもなく、我が身に起きる幾つもの不幸を責めることもなく、それらをただただ純粋に受け入れて生きていく主人公「すず」と回りの人達の小さな生き方を、丁寧に丁寧に描きだした珠玉の映画でした。気が付けば頬が涙で濡れている。気が付けば小さな幸せが自分の隣にいる、そんな映画でもありました。
 多くの人に観て貰いたい。そして日本の首相を始め、政治家と言われる人達には是非とも見て貰いたい映画です。更には世界の人達、その中でも特に政治家に観てもらいたい映画です。
 上映の映画館数が少ないのですが、多くの人達に、是非機会を捉えて観て貰いたいと思いました。


posted by nikki at 09:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

能ヶ谷通信

抹茶を飲む


 お点前を知らなくても、抹茶を点てて飲むことは出来ます。食後に甘い物を摘まんでから頂く一服の薄茶は、値の張る高価な抹茶でなくても、スーパーで売っている抹茶でも、とても美味しくいただけます。
 点前は、流派によってまちまちですが、目的はただ一つ美味しいお茶を頂くことです。茶碗を右に回す流派もあれば、左に回す流派もあります。どちらも、お茶の美味しさに変わりはありません。
 お茶を点てる茶筅の振り方も、慣れると上手になります。抹茶の分量もお湯の量も自分好みで試してみて下さい。抹茶をすくうのは小さなスプーンでも十分です。茶碗も自分の好みで何を使ってもお茶が点てられれば良いのです。そんな風に日常の中で、気軽に抹茶を飲んでみませんか。


posted by nikki at 09:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

能ヶ谷通信

慕情


 都心で行われた茶会の帰り、14時55分ころに小田急デパート西口一階の大階段の前を通ると、カンツォーネのコンサートが15時から始まると言うことで大勢の人が集まっていました。あと何分も待たなくとも良いので、聞いて行くことにしました。30分ほどのコンサート、ピアノとバイオリンやギターの伴奏でカンツォーネを歌うのですが、その中でカンツォーネではありませんが、カンツォーネ歌手が歌う映画「ゴットファーザー」の「愛のテーマ」、テノールのオペラ歌手が歌った映画「慕情」には、特に聞き入りました。
 広場に響き渡る美しく圧倒的な歌声に、大階段を上り下りする人達が映画のワンシーンのようにとても優雅に見えました。
 音楽は形のないものです。曲が終わればその痕跡は何も残りません。しかし、心の中に感動や切なさ悲しみや喜びなど様々な余韻を残します。
 私が中学生の頃、コニー・フランシスの歌う「慕情」が好きで、歌詞の意味も分からないまま、何度も何度も繰り返し聞いたことを彷彿としました。そして、その頃の青い自分を懐かしく切なく思い出しました。


posted by nikki at 09:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月14日

能ヶ谷通信

あるかのような嘘をつく


 今日のEテレ(NHK)「日曜美術館」はダリと彼の作品についての番組でした。その中でイラストレーターの寺田克也氏が言っていた
「あるかのような嘘をつく」
という言葉が胸に響きました。
 昔から言われている言葉なのでしょうが、私にはとても新鮮に聞こえました。物語を書きたいと悶えている私には、身に染みる言葉でした。そして、この言葉は茶の湯にも通じるものだと思いました。狭い茶室空間の中に俗塵を払った別天地を作り出すこともまた、「あるかのような嘘をつく」ことに違いありません。本来の茶の湯とは、その境地で行うものなのではないかと考えます。道具を並べただけの作法・点前では、自分は勿論お客人をも俗塵を払った別天地に誘うに値する壮大な嘘をつくことなど出来ないでしょう。私のお茶に対する戒めの言葉だとも思いました。


posted by nikki at 10:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月07日

能ヶ谷通信

柿の照葉


 春先に枝を剪定して貰った時、ついでに柿の木の枝も切ってもらいました。その時、庭師の方が、柿は二年目の枝に実をつけるから今年は成りませんよと言っていたが、正にその通り、今年は全く実がなりませんでした。しかし葉は繁茂して、秋が深まって行くこの時期、いつもの年の秋のように、赤く色づいた柿の葉が何枚も庭先に落ちてきます。柿の葉は意外と大きくて、濃い緑色を遺しながらも濃い朱の斑で紅葉するのです。それがまあ美しいのです。庭掃除の手を暫し休めて、落ちてきた柿の照り葉を長い時間見入ってしまいました。


posted by nikki at 09:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

能ヶ谷通信

おじさま


 「おじさま、おじさま」
 後の方で、そんな声がした。おじさまと呼ばれるような紳士でもないけれど、私の背中に呼び掛けているような声に振り向くと、夕暮れの中に六十代後半と覚しき品の良いおばさまがいた。
 「おじさまは、お優しいのですね」
そう言われた。
 呼び掛けられる前のこと。目の不自由な方が、ビルとビルの間に張られた金網のあたりで白杖を細かく動かしながらも、行き場を見付けられずに戸惑っていた。私は、その方に近寄って何処に行かれるのかと聞いた。ATMに行きたいという。今居る場所から十数メートルほどしか離れていない。その方に私の腕をつかんでもらいATMまでお連れした。そして私は、ATMのボックスの前で踵を返して帰路に着いた。その直後のことだった。そのおばさまに何と応えたら良いかと思っていると
「太陽のような方を見て嬉しくなりました。わたくし足を悪くしてから人様の優しさが身に染みるのです」と続けた。見るとそのおばさまは杖をついていた。
 薄暗い足元灯の光にも及ばない私は、太陽のような輝きを持っているはずもなく、途方に暮れた。そのおばさまに一つ大きく頭を下げてから私は、足早にその場を退散した。
 急ぎ足で歩きながら、正真正銘の太陽のような人になりたいなあと、この年になって思った。


posted by nikki at 09:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

能ヶ谷通信

残花


 庭いじりをしていると、ふと甘やかな香りが漂いました。周りを見ると、既に花の時期を終えている金木犀の一枝二枝に金平糖よりも小さな黄色い花が付いていました。
 この頃、熟して殻が弾けそうな朝顔の種を摘んでいますが、たまに盛りの時よりも二回り程も小さな朝顔の花が咲いていることがあります。
 一方、ひょろひょろと延びた枝の先に、小さな薔薇の花が一輪だけ咲いています。
 我が家の小さな庭も秋が深まり、残花に侘びしさを感じる季節になりました。


posted by nikki at 16:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする