2018年04月02日

君子蘭

 6年前、青森から東京へ引っ越しした時、君子蘭の鉢も持ってきました。引っ越しする年の前年に、株を分けて植え換えをした君子蘭で、ここ7年間は花を付けていなかったのです。しかし、その長い沈黙を破り、今年、再び蕾が付きました。日に日に花茎が長くなって蕾も大きくなり、橙色に色付き始めたのです。根はじっくりと張り、葉は懸命に日光を浴び、東京の環境に適応しながら、花を付ける準備をしていたのでしょう。どんなことがあっても諦めることなく、地道に努力していれば、きっと自分の花を咲かせることが出来ると、私へのエールを語りかけてくれるように感じました。
posted by nikki at 07:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

離れてすぐ懐かしい人

 4月は、別れと出会いの季節です。転勤して行く人、転勤してくる人。人生の別れと出会いが交錯する4月です。
 私が今、嘱託職員として勤務している職場も、転勤によって離れて行く人達、新たに出会う人達がいます。その中で、それほどお話ししたことがない人なのに、転勤していった次の日から、その人の姿が職場にないことを改めて知り、とても懐かしく思える人がいます。何が、私にそう感じさせるのでしょうか。思い当たることはただ一つ、温かな人柄だったと言うことです。私も立ち去った後すぐに懐かしく思って貰えるような温かな人になりたいものだと、この年になって今更のように、つくづくと思うのです。
posted by nikki at 14:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月16日

思惑

 大人になってからのお付き合いには、大なり小なり何かしらの下心が生じると思います。下心というと聞こえが悪いかも知れませんが、思惑と言ったら良いのでしょうか。とにかく、純粋に友達を好きだと思う心は、長じるに従って無くなって行くようです。それに反して純粋な恋や愛という気持ちが高まるのですが、それにすら時が経てば打算が入ってくるのではないでしょうか。何の思惑もなく、下心もなくつきあえる相手がいたならば、それは希有な宝物でしょう。
 社会は人と人との繋がりで出来ているので、このような思惑は人の性(さが)とでも言うべきものなのかも知れません。地位や権力そして財力を持つほど、近付いてくる相手や付き合う相手には悪意がなくとも思惑が生じることがあるでしょう。悲しいことですが、これも道理なのかも知れません。だからこそ、相手を上辺だけで判断しないという心構えが大切になってくるのだと思います。その為には、まず自分は如何ほどの者でもないという謙虚さが必要な気がします。尊い人ほど謙虚なのではないかと思うのです。
posted by nikki at 06:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月23日

男の苦労

 当然のことながら、町の中には男も女の人も混ざり合って行き来しています。そんな中、私はエスカレーターに乗る時、短いスカートの女性のすぐ後には乗らずに、数人の人を挟んでから乗ることにしています。満員電車の中では、なるべく女性の傍に行かないようにしていますが、ぎゅうぎゅう詰めの時には、そんな訳にもいきません。その時には、両手で吊革につかまるか胸の上で腕を組むような恰好にします。夜道を歩く時は、女性の後ろについて歩くようなことはせずに、右側を女性が歩いていたなら、出来るだけ左側に寄って足早に追い越して、自分が前を歩くようにしています。
「男はみんな、オオカミよ」なんて歌がありましたが、善良で小心者の男にはそんな苦労もあることを、女性の方々が少しはお心に留めていただければと、ささやかに思うこの頃です。
posted by nikki at 09:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

都忘れ

今日は春なのに、初夏を思わせる陽気です。庭に出て見ると鉄線が咲いていました。やはり例年より少し早いのでしょうか。そして庭の隅に都忘れも咲いていました。
 この都忘れという花の名前を、小さな頃に亡き母から教わったことを鮮明に覚えています。何故、そんな些細なことを今もって覚えているのかと、自分でも不思議です。あの時も、今日のような晴天の日だったような気がします。厳しいけれども優しかった母の思い出は、花に関したことが多くありますが、都忘れは目立たない楚々とした小さな花なのに、私にとっては、母への思い出が春日に美しく揺蕩(たゆた)う花なのです。
posted by nikki at 09:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする