2012年10月09日

文学の周辺

その1

 私は、特定の作家の作品を読み漁る癖があります。これぞと思った作家の作品を 追いかけるようにして読んで行くのです。ただ非常に遅読で、作家選びにも偏りが あることを認めています。これらの傾向は、とても人様に自慢できるようなもので はありません。その読書遍歴は高校時代にまで遡ります。そして高校生の私が初め て傾倒したのは、やはり同郷の作家太宰治でした。
posted by nikki at 10:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

能ヶ谷通信

転居顛末 1

 実現するかどうか分かりませんでしたが、若いときからずっと何時かは東京に 住まいたいと思っていました。そして、それを実行しようと具体的に動き出した のが、退職の五年ほど前でした。当初東京に住みたいと思っていましたが、埼玉 や千葉、神奈川の首都圏に、その範囲を広げて考えることにしました。そんな折、 上京したついでに、あの当代きっての目利きと言われた白州正子氏と吉田茂の片 腕となって活躍した白州次郎氏が住まった白州邸「武相荘」を見学するために小 田急鶴川駅に降り立ちました。そして、その駅前の不動産屋を覗いたのが縁とな り、五年ほどの歳月を経て、東京都町田市能ヶ谷の白州邸「武相荘」の縁を書斎 の窓から眺められる小さな家を求めることとなりました。
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2012年10月23日

能ヶ谷通信

「雪降る駅で」出版記念会

 去る十月十三日、拙著「雪降る駅で」の出版記念会を青森市の国際ホテルで開催 して頂きました。多くの方々にご出席頂き身に余る光栄でした。ご出席頂きました 皆様方に心より御礼申し上げますと共に、「雪降る駅で」を出版して下さり今回の 出版記念会も主催して下さいました泰斗舎(たいとしゃ)・山内様をはじめスタッ フの皆様に深く感謝申し上げます。
 今回の出版の全てを泰斗舎の皆様にお任せし、私はただ流れに漂うような状況で、 出版の運びとなり、ものを書くことへの腹も定まらぬ様な状態で迎えた出版記念会 でした。しかし、その場に我が身を置いた時、初めてものを書くことのスタートラ インに立ったという思いを胸深く感じました。そして、これからは書くしかないの だと自分に言い聞かせました。
 今は亡き母が何時も私に言っていた言葉があります。「大器晩成」。そうなりた いものだと、この度痛切に感じました。書くしかありません。
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2012年11月02日

文学の周辺

荒屋(あばらや)「喜入庵(きにゅうあん)」

 町田市には市立「町田市民文学館」があります。作家遠藤周作氏が40歳の 頃から町田市玉川学園に住んでいた縁で、彼の没後に御夫人から蔵書や遺品 3,000点余りが町田市に寄贈されたのが、この文学館を設立するきっかけに なったと言うことです。
 ご存じの通り彼は、「白い人」で昭和30年上半期の芥川賞を受章し「沈黙」 「海と毒」「深い河」など作品を次々と発表しました。彼は自宅を「狐狸庵 (こりあん)」と命名されました。
 笑止なことを申し上げますが、我が荒屋には「喜入庵」と名付けた小さな 部屋があります。そこで私は戯れに我が荒屋自体を「喜入庵」と呼んでいま す。
 少しでも遠藤周作氏にあやかりたいものです。
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2012年11月06日

能ヶ谷通信

「雪降る駅で」 校歌について

 拙著の単行本「雪降る駅で」の冒頭に、この舞台となった港北高校の校歌が載せ られています。でも物語の重要なモチーフであるこの校歌は、最初から出来上がっ ていたものではありません。物語が完結し単行本になる時に、その校歌が初めて出 来上がったのです。
 しかし、物語を書き進めるなかで、必然的にそして何気なく校歌のワンフレーズ だけが出てきました。ほんの一行だけです。その一行が主軸となって物語の全てを 語るように、港北高校の校歌が出来上がりました。
 その校歌のワンフレーズは、一体物語のどこに出てくるのか。それを楽しみに読 んで頂くのも良いかも知れません。
posted by nikki at 09:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする