2013年04月19日

能ヶ谷通信

つれづれに思うこと A


 今は、若者の失業率が高い時代です。如何にして若者に仕事の場を与えるか、現代日本の大きな課題です。一方、高齢者も働かなければならない時代でもあり、定年の延長や再雇用など、色々なことがなされています。
 昔は、楽隠居等という言葉がありましたが、今は死語になっているのでしょうか。隠居と言っても決して高齢な人達ではありません。五十代、早い人ならば四十代後半から隠居したと聞きます。
 なぜ年寄りがこんなにも働かなければならなくなったのでしょうか。隠居は、若者達が働くことによって支えられた生き方かも知れないと思います。
 若者が安定した生活を送られる世の中こそが、高齢者にとっても暮らしやすい世の中なのではないのかと、この頃思うのです。


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2013年04月24日

能ヶ谷通信

つれづれに思うこと B


 デフレ脱却、物価を押し上げて景気を良くする。物価が上がれば、景気が良くなるのでしょうか。逆のような気がします。景気が良くなれば、物価が上昇する。値段が上がっても買える力があればこその話だと思うのですが。それが素人の考えなのでしょうか。
 テレビでは、孤独死、医療費の問題、年金だけでは老後の生活が成り立たない等、年老いた時に心配になる話が頻繁に話題になっています。新聞でも雑誌でも、老後の心配が取り沙汰されています。人は必ず老いて行きます。それは、誰でも知っていることです。自分の老後を安定させたい。しかし、社会の活力となってくれる若者の数は減って行く、年金は目減りして行く。最終的に頼れるものは、お金。そう考える現代の日本人達が、行う行為はただ一つ。貯金を殖すこと。誰も無駄遣いをしません。
 景気を良くするには、将来のつまり、老後の保障があってこそではないでしょうか。私は、この頃そう思うのです。


posted by nikki at 10:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月30日

能ヶ谷通信

喜入庵だより


 床の間編 C


 三月は、雛祭りの床飾りに始まって、利休忌の設(しつら)いで終えます。ご存じのように、千利休は、天正十九年二月二十八日に豊臣秀吉から死を賜って自刃しました。祥当が晦日であることなどから、今日では三月二十七日・二十八日に三千家で利休忌を執り行っておられます。我が家でも、三月下旬には利休像の軸を掛けますが、その前の三月中旬に、ささやかな供養のための短冊を我が家では床の間に飾ります。
 亡父の祥月命日が三月十七日で丁度春彼岸の初日に当たります。飾る短冊は本当にささやかな物です。亡き父が生前に押し花にしたツクシ三本が緑色の短冊に貼られ、それに今は亡き母が
「春風や 川の岸辺の つくしかな」
と俳句を添えた一枚です。細い短冊掛けに掛けて飾ります。それを春彼岸の最後の日まで掛けます。漸く春本番と思えるのです。


「目利」と「目聞」


 書画、骨董などの善し悪し、真贋を見分けられる人のことを、一般的に「目利(めきき)」と言いますが、「めきき」には「目聞(めきき)」と言う言葉もあることを知りました。
 広辞苑などの辞書には「目利」はあっても「目聞」と言う言葉は見当たりません。この「目聞」なる言葉は茶書『山上宗二記(やまのうえのそうじのき)』に出てくる言葉で、茶道具として使えるかどうかを見極める目のことを言うのだそうです。
 この「目聞」なる言葉を知って、ああ、私は「目利」にはなれないが、「目聞」にはなれるのではないかと、嬉しくなりました。何せ私は、何を見ても茶の湯に使えるかどうかと言う物差しで見る癖が永年の内に身についてしまっているからです。そのものの価値を、茶の湯の道具として使えるかどうかと言う観点で考える私なのです。


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2013年05月09日

能ヶ谷通信

吾家の宝


 先日、吟詠大会なるものに行って来ました。ホール一杯に朗々と響き渡る吟詠の声は、正に天地を揺るがす力強さと、日本人の深い感性に溢れていると感じました。その中で、茶道吟として吟詠されたのが徳冨蘆花の『吾家の宝』でした。
 その内容は、三坪ほどの吾が家の庭にも、太陽は輝き月が照る、風が吹き雨や雪そして霰も降る。蝶が舞い、鳥が囀り秋の虫が鳴いて四季は移ろう。三坪ばかりの小さな庭に、宇宙の富が満溢すると言うようなもので、正に吾が家の狭い庭の如きを現していると、感じ入りました。
 徳冨蘆花というと小説『不如帰(ほととぎす)』を思い出しますが、素晴らしい詩も書いていたことに改めて敬服しました。皆さんも是非、この『吾家の宝』をご一読下さい。どんなに小さな庭にも、壮大な宇宙の富が存在することに思い至り、小さな庭の大きさに気が付かれることと思います。
 今、吾が家の小さな宝の庭に、青森から持ってきた〈都忘れ〉が咲いています。わざわざ青森から持ってきたものだと思えば、これもまた宝の中の宝物の一つで、一層愛おしくなります。吾が家の〈都忘れ〉は、〈青森忘れ〉なのです。


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2013年05月14日

能ヶ谷通信

喜入庵だより


床の間編D


 五月に入ると早々に立夏となります。今年の立夏は、五月五日でこどもの日と重なりました。里には様々な花が咲き競い、正に百花繚乱の季節です。
 しかし、標高の高い山などは、やっと雪が解け漸(ようよ)う草木が芽吹き、花芽が出始める頃です。
 我が家では、深山の花がまだ咲かないこの時期に、敢えて『山深花發遅(山深くして花ひらくこと遅し)』という一行物の軸を床に掛けます。山が深ければ深いほど、花の咲く時期は遅くなります。しかし深山に咲く花は、里で咲く花にはない奥深さと又違った美しさがあります。この言葉の意味を単刀直入に言えば、『大器晩成』と言うことになるでしょうか。六十を過ぎても、未だ咲かぬ己の戒めとして毎年掛けているのです。
 因みに『山寒花發遅(山寒くして花ひらくこと遅し)』という文言もありますが、意味は同じだと思います。


posted by nikki at 09:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする