2022年02月07日

輝くもの、必ずしも金ならず

 最近、この言葉を目にしました。がつんと胸を叩かれた思いがしました。心の琴線に触れました。
 キラキラとしているものが全て素晴らしい物とは限らない。上辺のキンキラキンに惑わされてはならない。そんな戒めを感じました。
 近頃、服は勿論のこと靴でも鞄でもキンキラキンの物を身につけている人を、とても多く目にします。パーティーに行く訳でも無かろうに、朝からそんなに光らせないでも良いのにと思ってしまいます。流行なのでしょうかね。
 「金」を「かね」と読むと、その意味が一層、現実味を増します。貨幣が流通してから後、少しでも多くの「金(かね)」を得るために人々は知恵を絞ります。それは、決して悪いことではありません。しかし、金が全てでも無いのです。生活して行く為には、それなりのお金が必要です。それを否定するものでもありませんが、お金よりも大切なものがあることも忘れてはならないこと、この言葉で再び強く肝に銘じることができました。
posted by nikki at 09:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月30日

想像すること

 冬ですから、寒いのは当たり前。でも、この寒さの中、路上で一夜を過ごす人がいることを忘れてはならないと思うのです。彼等にとって、次の日に生きて目覚めることが出来るか、その瀬戸際に毎日立たされていることを想像しなければならないと自分に言い聞かせています。
 歳費(国会議員の給与)の他に彼等には「文書通信交通滞在費」月100万円、1日でも100万円が支払われています。この使途については、内容が明示されず、領収書もなくて良いとは、一体どのような感覚なのでしょうか。小さな団体ですらその会計は明瞭で、領収書がなくてはなりません。1円たりともです。「文書通信交通滞在費」の検討が充分に為されていないなどと詭弁を言い、いかにこの100万円を長く保持しようとするかに腐心している姿は、国民の為の国会議員にあるまじき行いです。100万円の100分の1の1万円があれば路上生活者の人達は、何日か温かな寝床と食事が出来る現実。国会議員が当然の如く使う月100万円に、どのような大義名分があるのでしょうか。領収書を付けて内容を明らかにすることは、国会議員の前に国民として当たり前の事だと私は思うのです。
 国会議員には会派に支払われる一人あたり月65万円の「立法事務費」と言うものもあり、その他に公設秘書の給与などを合わせると、国会議員一人に月570万円、年間にすると約7500万円。国会議員は衆議院465名、参議院245名、計710名いるのですから、ザッと見ても国会議員にかかる予算は莫大なものであることを忘れてはなりません。
 この世の中に寒さに震えて一夜を明かす人達がいて、寒さの中命をかけて夜を明かす過酷さを我が身に置き換えて想像しなければなりません。このこと一つさえ想像しないが故に、「文書通信交通滞在費」をうやむやにして使おうとしているのだと思うのです。
posted by nikki at 11:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月24日

結露

 一際冷え込むこの頃、朝起きて窓のカーテンを開けると、盛大に結露しています。この結露を見るたびに、部屋の暖かさを再認識します。外が冷え、家の中が温かく、その温度差が大きいほど、結露は甚だしく、それは幸せなことだと思います。
 私が好きなミュージカル『マイフェアレディー』にWouldn't It be Loverly?という曲があります。大体の意味しか分からないのですが、「チョコレートがたくさんあって、暖炉があって手足が温かい。素敵だと思わない」と言うような内容で、暖かな部屋は心を豊かにすると歌っているのです。結露にうんざりしている人が殆どだと思いますが、たまには、温かな室内にいる幸せを結露に感じることも必要だと思うのです。
posted by nikki at 09:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月18日

一歩

 毎年の初詣は、家内と一緒に都内の神社に行くことにしています。今年は花園神社に詣でました。その後で、新宿中村屋ビルの地下2階にあるレストラン&カフェ「マンナ」で昼食を摂りました。新宿に家内と出る時は、大概ここに寄ります。客席数が多いので、あまり待たずに案内があります。そして帰りには中村屋の月餅とクリームパンをお土産に買うのも定番です。あんパンの発祥店と言えば銀座木村屋と有名です。あまり知られていませんが、クリームパンは新宿中村屋が元祖です。月餅は「賀正」と型を押した物が、お正月限定であります。
 中村屋は様々な焼き菓子を出しています。50年ほども前になりますが「一歩」という焼き菓子があったと記憶しています。今はありません。いつから無くなったのでしょうか。
 この「一歩」という菓子には思い出があります。大学二年の時だったと思います。友達の母親が息子の入っている大学を見に山口から上京してきた時、私にお土産を持ってきてくれました。そのお土産が、新宿中村屋の焼き菓子「一歩」の詰め合わせだったのです。「いっぽ」と読むのか「かずほ」と読むのか、今では調べようもありませんが、「一歩(いっぽ)」と聞くと、何時もこの焼き菓子を思い出します。何方か、このお菓子について知っている人はいませんか。
posted by nikki at 09:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月10日

茶会の点前

 点前とは、抹茶を点てる所作を言います。街中の師匠に就いて点前の稽古をする場合、一つ一つの所作を学び順番を学ぶのですから、その折に点前の型や順番を間違えることがあり、師匠に直されます。教えられた通りにしなければ間違いなのです。そして点前のいちいちを覚えるのです。しかし、こと茶会の点前には間違いというものは無いと私は思うのです。客にお茶を点ててお出しするのは、亭主の役目ですが、教えられた通りの点前でなくとも美味しいお茶を点てることに意味があります。懸命にお茶を点てる行為に間違えなどあろうはずはありません。たとえ教えられた通りにお点前が出来なくとも、美味しいお茶を差し上げようとする気持ちと態度があれば、その亭主の点前に間違いは無いのです。袱紗捌きの方法が違っていたり、道具の置く場所の畳の目が何目であっても、それはさほど重要なことではないと思います。流派によっては、真逆にやり方が違っていても、お茶は点ちます。しかし、お茶の稽古の時は違います。手順や所作を教わっているのですから、師匠の教えてくれるようにしなければ、それは間違いなのです。
 一方、本番の茶会の点前には、美味しいお茶を客に出そうとする気持ちが籠もっていれば、失敗というものは無いと私は考えるのです。ですから、お茶会などで亭主の点前が間違っているとかと、言うものではないと私は思うのです。
posted by nikki at 10:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月05日

『去年今年 貫く棒の如きもの』

 高浜虚子の有名な句です。
 大晦日だお正月だと騒いでいても、所詮、昨日の今日で時空は続いているというような意味です。正に、その通りで時は淡々と繋がって決して戻ることはありません。
 大晦日だからコロナ感染が一時お休みだとか、お正月だから地震は起きませんなどと言うことは全く無く、年末からお正月にかけてコロナ感染者は徐々に増え、本日1月4日には小笠原諸島で大きな地震もありました。時の流れとは、また自然とは、そう言うもの。人間の大晦日や正月などには関係ないのです。しかし、人々は、行く年を惜しみ来る年を祝います。それは人間が生きて行く道筋において、折々の節目として大切なのことなのです。一年を目安に目標を立て、私達は頑張っているところがあります。1月1日になっても様々な事象は変わらないでしょうが、しかし元旦は、人間にとって大切な節目の時であると思います。
 因みに、私にとって1月1日は、もう一つの節目でもあります。1月1日は、私の誕生日なのですから。
posted by nikki at 14:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月27日

銀杏降りしきる

 東京には、銀杏の並木が多い。
 私が住む地域にも銀杏大通りと名の付く銀杏並木がある。
 夙に有名なのは、絵画館前の銀杏並木。このコロナの時期でも前に進めないほどの人・人・人の波。黄色く染まる通りは、正に圧巻である。葉が、その役目を果たし終え、最後の命を振り絞るように染め上げた色には、黄金の眩さがある。その美しさは束の間の輝きでもある。だからこそ、惜しみない称賛が似合うのである。
 新宿花園神社の正面から、日清製粉本社ビルまでの明治通りも銀杏並木。風の強かったその日、通りに降りしきる銀杏の葉が風に舞い上がり、ビルの七階・八階あたりまで到達した。そうして又風に吹かれて下に落ち、更に遠くへと飛ばされる銀杏乱舞の光景に、思わず足を止め暫しの間、そんな絵画のような街角に私は佇んだ。そして、人工と自然の競演が織りなす仮初め(かりそめ)の美しさに身を委ねながら、冬の確かな到来を感じた。
posted by nikki at 07:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする