2021年12月20日

髪を梳(す)く

 コロナ感染を防ぐために、皆、マスクを着用しているせいでしょう。この頃は、電車の中で化粧をしている人を見かけませんが、コロナが終息してマスクをしなくなると、また電車の中で化粧する人が出てくるのでしょうか。いやいや、このコロナ禍中に男子の電車内化粧を家内が見たと言っていました。老若男女、みんな美しくなりたいと思うのは人間として、至極当たり前の事だと思います。しかし、化粧は字の如く、化ける粧いなのですから、人目のない所で施すものと思うのは、古い考えなのでしょうか。
 先達ての朝の通勤電車、ゆっくりシートに座って行こうと1本見送って、ホームに並んでいました。先に出発する電車が動き出した時、車窓の中に驚いた光景がありました。混雑する電車の中、髪を背中まで伸ばした女性が自分の前のシートに座っている人の前に立ち、丹念に髪を梳(と)かしているのです。座っている人達の表情は後姿なので見えませんでしたが、嫌な思いをしている人もいるだろうと思いました。髪を梳くと、抜け毛が座っている人の服に落ちるでしょう。気にならないはずはありません。男性のコートや背広に、女性のものと覚しき長い髪が付いていれば、家に帰って「これ、何」と奥さんに聞かれ、家庭不和のもとにもなりかねません。朝寝坊して化粧や整髪をせずに家を出たのでしょうが、電車の中で髪を梳くこともマナー違反だと私は思うのです。
posted by nikki at 09:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月12日

領収書

 私は、幾つかの趣味やボランティアの団体に所属しています。それらの団体の活動にかかった経費を請求する時、確かに正当と認められることに使ったという事実と領収書が必要です。それは、小さな団体ですら、至極当たり前の事です。ましてや、税金から成り立っている国会議員の文書通信交通滞在費は、議論の余地はありません。領収書と正当な活動の証明は必須です。何の議論が必要なのでしょうか。国民感情としては、全く理解に苦しみます。本当に必要な経費であれば、正々堂々と領収書を提示できるはずです。これについて、国民はもっと騒ぐべきだと思います。世論が、議員の姿勢を正して行かなければ成らないと強く思います。
posted by nikki at 10:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月06日

真白き

 冬になると、通勤電車の窓外に気高くも美しい景色が加わる。それは、一区間だけの限定的な遠望なのだが、薄青く広がる冬晴れの朝の空の中、大山連峰の向こうに凜とした真白き富士の嶺が見えるのだ。小田急線の上り登戸駅を出発して直ぐの多摩川に架かる鉄橋の上を電車が通る時で、多摩川河川の上は広々として空が広がり、遠く富士の姿が見えるのである。見えるのは時間にして、僅か数十秒ほどの束の間である。しかし、その姿の無垢で輝くばかりの美しさは、溜息が出るほど。手を合わせたくなるほどの神々しさ。しかし、混雑する車内の中で、身動きすらままならない。人工の美を誇る新宿の街に向かう我が身への洗浄の一瞬のようにも感じる。今日も冬晴れ、寒い駅までの道程も、富士山を見ることが出来ると思えば足取りも軽く感じるこの頃である。
posted by nikki at 07:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月29日

羽織

 昨日、新宿から東京駅に行く中央線の列車の中で、洋服の上に和服の羽織を着ている若い女性がいました。丁度、私の真ん前の座席に腰掛けたその娘さんは、今流行の内側が一般的な生地、その上にオーガンジーを被せたスカートに少し豪華な白のブラウス、そして防寒用の上着として羽織を着ていました。羽織の地色はラメの入った山繭色で、紅葉の絵柄を散らし上品な絹の光沢がありました。とても似合っていて、おしゃれ感覚上級と感じました。その羽織は、きっとお祖母さんか曾お祖母さんが若かりし頃に着たものだと思います。柄付けと羽織丈でそんな感じがしました。しかし、現代のファションにぴったりだと思いました。
 更に、帰りの神田駅のホームで偶然にも、若い男性がインバネスコート(ケープ付きの男性用和服コート)を着ているのを見ました。私も、防寒着として背広の上にインバネスコートを羽織ることがありますが、この和服のコートは、洋服にも似合うのです。シャーロックホームズにでもなったような気分です。
 室町時代の佗茶の祖である村田珠光は「和漢の境を紛らかす」と言うような言葉を残していると、記憶しています。和は我が国の物、漢は正しく舶来物です。茶道具の中に和物と舶来物を取り混ぜて違和感なきように使いなさいという意味ですが、今の時代のファッションにも言い得ることだと思います。
posted by nikki at 07:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月22日

注射

 先達て、職場の健康診断がありました。最初に身長・体重を計測しました。年をとったら背丈が縮むと聞いていましたが、正にその通りで、今では若い頃から1pほど低くなっています。その分と言っては何ですが体重は、10sも増えています。幸いメタボには引っ掛からなかったのですが、贅沢な肉が、体の彼方此方に付きまくっている状態です。
 さて健診には採血がつきものですが、私は注射が大嫌いなのです。採血の時、私が顔を背けたのを見て看護師さんが「注射は嫌ですか」と聞きました。「注射が好きな人はいないでしょう」と私は言いました。看護師さんが答えました。「注射が好きという訳ではありませんが、注射を打った時のチクリとした痛みに心が落ち着くという人がいます」。私は驚いて「どんな人が」と聞き返しました。看護師さんが言いました。「大病をなさって耐え難い苦痛になった時、その痛みを軽減し救ってくれる薬が、体の中に入って行くという感覚。その安堵感が注射のチクリと言う痛みと連動している人もいるんです」
 私は目から鱗が落ちる思い。と同時に、己の想像力の乏しさを思い知ったのです。そして他者の思いを想像することの大切さを再確認しました。
posted by nikki at 09:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月14日

豪徳寺

 40歳代で亡くなった親友がいる。彼は東京都世田谷区梅丘に住んでいた。学生時代から、彼の家にはよく遊びに行った。大学を卒業し郷里に帰った後も、上京するたびに彼の家に泊まった。小田急線の豪徳寺が彼の家の最寄り駅。
 10年ほど前に東京都町田市に居を移した。我が家の最寄り駅は、小田急線の鶴川。通勤や都心に出る時は、大体、新宿が起点となる。毎日のように豪徳寺の駅を通過する。眠っていても、豪徳寺の駅で目が覚める。ふと電車に、その友が乗ってくるような気がする。友は、今でも私の心の中で生き続けていると強く感じる一瞬である。
posted by nikki at 10:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月07日

叱る時

 母は生前、息子の私を叱る時「一人で大きくなったような顔をして」と、よく言ったものでした。親は何時まで経っても親で、子どもは幾つになっても両親の子ども。産み育ててくれた恩は消えるものではありませんが、時として、その恩を忘れるのも子どもです。当然のようにして、子どもは親に様々な要望を言います。振り返ってみれば、私もそうでした。
「墓に布団は着せられぬ」
 亡くなってしまえば、親孝行は出来ません。亡き両親のことを思えば悔いることの多いこと。七十歳を過ぎた今でも、もう一度私を叱って下さいと、不可能を承知で思うことがあります。
 私の息子達も、中年と呼ばれる年齢になりましたが、親の目から見れば、まだまだです。今は、息子達に注意することはありますが、叱ることはありません。ただ、注意する時は、彼らの子どもの時と同じように気を付けていることがあります。それは、空腹時には、注意しないということです。
 息子達が小さい頃、その場で叱らなければならないこともありましたが、出来る限り、お腹が空いていない時に注意したり叱ったりしました。その方が、子ども達もしっかりと聞く耳を持ってくれるのです。空腹時は人間、どうしても気持ちがいらいらしています。幸福感が薄れます。そんな時に叱られたり、注意されると、冷静には聞けないと思ったからです。勿論、叱る親も、空腹時ではいけません。空腹が棘のある余計な言葉を付け加える可能性があると思うからです。
 ただし、あまりにも満腹時も効果は薄れますよ。何しろ動物は腹一杯になると眠くなりますからね。これも要注意です。
posted by nikki at 10:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする