2017年02月06日

能ヶ谷通信

名作


 今日、仲間達と集まって談笑している時、「きもの」の話題になりました。その折、ふいに有吉佐和子の「真砂屋お峰」の小説を思い出し、友達にその内容を話しました。二十代前半の頃、有吉佐和子の作品を好んで読んだ時期がありました。その頃の話ですから、かれこれ四十年以上も前に触れた小説です。しかし、「真砂屋お峰」の話をしている内に当時の感動が私の胸にまた満ちて来て、その内容を熱く語る自分がいました。人それぞれに名作と呼ぶことができる小説を持っていると思いますが、この有吉佐和子の「真砂屋お峰」は、私にとって思い出すだけで感動が甦る名作と言えます。


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2017年01月30日

能ヶ谷通信

東京の空


 東京の空が淀んでいるというのは、既に昔の話。昨今の東京の空は、季節毎に美しく彩られる。冬の晴れた日には、東京からも富士山が望める。どんなに高層ビルが建っても、全天を覆い隠すことはない。一月も下旬の今の季節、東京は晴れ渡る日が多い。夕方5時頃、新宿西口の小田急駅の前に立って遠望すると、超高層ビルに縁取られた空間に、上へ行くに従ってグラデーションで徐々に濃紺となる、美しい夕暮れの空を見ることが出来る。その微妙な色の繋がりで夜の帳が静かに降りてくる様子は、正に都会の中に出現した一幅の絵画である。その夕間暮れの中で、画竜点睛の如くに宵の明星が一点気高く輝く。そんな逢魔が時の東京の空を見て、私は思わず、嗚呼美しいと溜息を漏らす。


posted by nikki at 13:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月23日

能ヶ谷通信

顔付き


 最近、鏡を見て自分の顔付きが何となく変わったと感じることがあります。何処がどのように変わったのかと聞かれても、それをはっきりと説明することは出来ません。雰囲気が変わったとでも言うのでしょうか。
 退職するまで四十年あまり教員として暮らしてきた中で、私には教員としての自負も生まれてきましたが、それ以上に教員臭さが身に染みついたと思います。教員になってまだ間もない頃、初めて会った人は、私を教員だと言い当てることはありませんでした。しかし五十代頃になると、初対面の人から教職に就いていますかと聞かれることがしばしばあるようになりました。
 教員らしさは良いが教員臭さだけには気を付けようと思っていましたが、どうやら教員臭さが身に付いてしまったようです。
 退職してから五年も過ぎた今頃になって、やっと自分の教員臭さい顔付きが薄くなってきたように、鏡に映った自分の顔を見て思うようになりました。


posted by nikki at 11:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

能ヶ谷通信

丁寧に


 門松や〆縄などは、我が家のささやかな初釜が終わった七日の夕方にとりました。そして床の間や居間、玄関内など家の中の正月飾りは、昨日と今日で全て丁寧に片付けました。毎年、床の間に飾る三幅の軸や塗り三方そして屠蘇揃え、玄関に飾った亡き母が作り遺した二見浦の固形盤景などは、また来年のお正月まで物置や納戸に仕舞っておきます。
 十五日の小正月も終わり、今年もまた駆け足で進み始めています。忙しい日々ですが、今更のように、丁寧に生きて行こうと自分に言い聞かせています。


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2017年01月11日

能ヶ谷通信

十代


 明けましておめでとうございます。
 また、一つ馬齢を重ねました。これはお目出度いことなのでしょうか。昨年もあっという間の1年でした。しかし、何かをなし得た1年だったかと聞かれると、さて、何をしたのかと分別すること然りです。
 テレビや街で見掛ける十代の人達を見ると、皆、若さがはち切れんばかりです。いいなと、つくづくと思います。
 ふと、古いアルバムを捲って、自分の十代の時の写真を見ました。我ながら、若さで輝いていたなとつくづく思いました。あの時は、自分が年をとるなんて考えもつかなかったように思います。
 何時までも、若さは続きません。今をどう生きるかだと思います。今頃になって、そんなことをつくづくと思うのです。


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2016年12月27日

能ヶ谷通信

祖国


今年、様々な議論を巻き起こした言葉「日本、死ね」。このような言葉を発するには、相当な怒りと苦痛が伴ったことと思います。しかし、母国を死ねと言って良いのでしょうか。日本の国がなくなったら、あなたは何処へ行くのでしょうか。
 この言葉を聞いた時に私は心から驚き、そして悲しくなりました。また、これを政争の具に使った人達にも疑問を感じます。
 世界には様々な理由で愛する祖国を辛い思いで離れ、他国で暮らしている人達が沢山います。そのような人達に、この言葉は一体どのように受け止められているのでしょうか。


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2016年12月19日

能ヶ谷通信

作法


 先だって、護国寺で大きな茶会がありました。7席ほどの茶席があり、各流派の方々が担当しておられました。それぞれの席で点前を拝見し、お茶を頂きました。各流派とも特徴があり工夫があり十分にお茶を堪能しました。作法は流派によって違いますが、それぞれが美しい所作で美味しいお茶を点てて下さいました。
 各流派で事細かな作法が言われますが、それは一つの作法に過ぎないのだと思います。要は、いかに相手を敬い、美しい所作で、美味しいお茶を点てて進ぜるか、相手の心持ちを良くするかではないのかと思うのです。一つ一つの作法の持つ意味は、それに尽きるのではないでしょうか。それを忘れたならば、お茶は形骸化されてしまうと思うのです。
 何の為にお茶をしているのか、もう一度自分に問い掛けてみる良い機会になりました。


posted by nikki at 11:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする