2021年11月01日

自分の音

 数日前、偶然見たテレビに西川悟平氏の特集番組が放送されていた。その番組で、先のパラリンピックの閉会式で、ピアノを弾いた人だと知った。なんと彼は、右手と左手の親指と人差し指だけでピアノを弾くピアニストだと紹介されて驚いた。彼は「7本指のピアニスト」として既に有名な方であり、パラリンピックの閉会式のテレビ放送等でも、7本指でピアノを弾くとは敢えてコメントされていなかった。私は、指に障害のある方とは知らずに、彼のピアノに快さを感じていた。それが7本の指で奏でられたと知り、とても驚いた。
 西川氏は、病気により指が動かなくなったが、懸命のリハリビで7本の指が動くようになった。そしてその7本指でピアノを弾く。どん底の状態から、這い上がったのは「自分の音」で弾けと恩師に言われたことが大きく影響していると、彼は言っていた。 「自分の音」その言葉は、私は胸にも大きく響いた。
 私は茶道をやって五十年以上の歳月を過ごしてきたが、そのことを振り返り、今の自分は、果たして「自分の茶の湯」をなしているのだろうかと、自分に問うて見た。偉大な先人達の上辺だけの模倣、流派の教えだけに固執、値が高ければ良いお道具という目利きのない考え。そんな諸々なことに振り回されて、確固たる「自分の茶の湯」を持つことなく今までお茶をやって来たのではないだろうかと、深い反省が己の胸を強く打った。
「自分の茶の湯」を見つけたいと、西川氏の番組を観て痛切に思った。
posted by nikki at 05:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月25日

九谷の小香炉

 掛け軸を掛けたその下に、今日は香炉を飾ってみました。
 それは、九谷の染付の小さな香炉です。香炉の藍で描かれた文様は松竹梅。どこにでもあるシンプルな文様ですが、蓋と胴に描かれた松竹梅には漂うような気品があり、九谷ながら、とても静かな趣すら感じます。
 この香炉は、私が大学生の時、金沢へ旅行した折に買い求めた物で、高価なものではありません。でも、その時に持っていたお金の大半を使った記憶があります。リュック一つだけ、宿泊はユースホステル、若者の貧乏一人旅でしたが、憧れと夢だけは体に満ち溢れていました。50年以上前のことです。
 この香炉を床の間に飾る時、懐かしさが私の胸に募り、掌に載せ暫くの間、愛でました。遠い日の若き日々が、今、床の間でしっとりと輝いています。
posted by nikki at 06:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月18日

万歳? お手上げ?

 先日、衆議院が解散しました。衆議院議長が「解散勅書」を読み上げた後、議員達は立ち上がり万歳三唱をしました。こんな場面を見る度に、解散する時に、何故万歳三唱をするのか、何時も疑問に感じます。そして、この万歳三唱は、自分達は一般の人達とは違うという特別意識を持っている表れなのかと、勘ぐってしまいます。万歳は、字面から直に考えると「萬(よろず)の歳月 長く続く良きこと」と解釈しますが、誰にとって、何故に衆議院解散は良きことなのでしょうか。
 解散の次の日の朝方、私鉄の小さな駅前に、その選挙区から選出されていた議員が立って何事かを話していました。しかし、職場へ向かう人達には、それを聴く閑すらなく、足早に通りすぎて改札口を入って行きます。あのスピーチに何の意味があるのでしょうか。私は此処にいるよ、皆さんと寄り添っているから、又私を議員にして欲しいとのアピールなのでしょうか。そんな彼の状況を見ると、私には、単なる就職活動のパフォーマンスとしか捉えられないのです。
 議員になれば、宴席で高い所に座るのは当然。何かお願いしたいことがあれば、頭を下げて来なさい。先生・先生と呼ばれて逸に入っている。上級の人間なのだと思う。そんな特殊感や奢りが臭うのです。真の政治家にお目にかかりたいと切望するのですが…。
 万歳の恰好は、両手を挙げます。その様子から、「お手上げ状態」を連想します。私は、本当に心から政治を行う真の政治家を探しているのですが、選挙の度に、そんな立候補者が見つからず、清き一票を誰に投票したら良いのかと、正にお手上げ状態なのです。
 解散した議員は、万歳。選挙で一票を投じる私は、お手上げ。そんな思いが交錯します。
posted by nikki at 09:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月11日

別個人

 先のブログで「年をとっても、気持ちは若い時のままだよ」との亡母の言葉に、今の私は納得していると綴りました。その思いは変りありません。しかし、外部からの刺激に対する反応や捉え方そして対応、更に感情の起伏は、古希の今と若い時のそれとでは、同じでないことも確かです。それを成長と呼べば良いのか、はたまた老化と認識すれば良いのか、私には分かりません。
 先達てから、創作のために若い時分に旅行先で撮った写真を、何十年ぶりに見ています。その写真の中の若者は、確かに昔の自分です。しかし、当然のことながら今の私ではないのです。今の私が、古き写真の中の若き日の自分を見ると、今現在、街や電車の中で擦れ違う若者を見ているような感覚になるのです。そして、若い時の自分は、自分でありながら今の私とは別個人であると、つくづくと思うのです、そして切なく愛おしく感じるのです。
posted by nikki at 07:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月04日

いよよ、華やぐ

 身体一杯に秋を感じる季節になりました。爽やかな日の光と風に、この頃の自分は、大学生の頃のことを思い出します。淡い記憶で感じるのではなく、古希を迎えたこの年になって、濃密に漂うのです。体力の衰えは顕著でありながら、心だけ若い時のように華やぐのです。
「年をとっても、気持ちは若い時のままだよ」
 亡き母が、そう言っていたのを思い出します。当時の私は壮年期で、家庭に仕事にと多忙で、母の言葉を深く感じ取る余裕もなく、理解の外にありました。
 しかし今は、その母の言葉の意味が分かるのです。不思議なことに、今年になって私の気持ちは、若い頃それも大学時代の気持ちに遡上しているのです。
 岡本かの子の作品の中に「老いて、いよよ華やぐ」と言うようなことが書かれているように記憶していますが、もしかしたら記憶違いかも知れません。しかし、今の自分の気持ちは、正に「いよよ、華やぐ」そんな思いなのです。
posted by nikki at 09:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月27日

コンチータ(Conchita)

 ユーロビジョン・ソングコンテスト2014にオーストリア代表で出演したコンチータ ヴルスト(Conchita Wurst)は、ライズ・ライク・ア・フェニックス(Rise Like a Phoenix)という楽曲で、優勝を果たした。正にこの曲は、圧巻の作品で聴衆を魅了する。そして、それを歌い上げるコンチータの驚きの姿は、ある意味現代を映し出している。彼の出立ちは、髭を蓄えた麗しきドラッグクイーン。ロングヘアーにけばけばしい化粧、痩身をタイトなロングドレスで包み、艶やかに歌うのである。コンチータの姿をテレビに出してはいけないと、ベラルーシやロシアでも論争が起きたほど。「反ヴルスト」なる運動まであった。だが私は、彼の歌は素晴らしいと思うし、絶対に遺棄してはならない。音程も音量もそして声音も一流である。彼は彼の世界を持ち、彼らしく作品を歌い上げて、私は込み上げる感情や詩情さえも感じる。私には、彼の歌の詞の内容はまったく分からない。しかし、その歌の中に想像を掻き立てて物語を紡ぐ何かを感じてしまうのである。正に音楽に言語の違いも国境も無いと思う。そして男だとか女だとかという区別さえ越えてしまうのも音楽だと彼の歌を聴いて思うのだ。我が国の歌謡曲だって、女心を男が歌い、男心を女が歌う。男と女の心の機微は、一線を持って棲み分けられているのではなく、限りないグラディーションで繋がっているのだとつくづくと思う。
posted by nikki at 07:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月20日

ディマシュ(Dimash)

 100年に一度とか200年に一度などと言えば、大層希なることを意味します。しかし、ディマシュは300年に一度、いや500年に一度出現するかどうか。私は、そう思って彼の歌を聴いています。大袈裟に言えば、彼の歌を聴くことが出来た時代に生きた幸運さえ感じるのです。
 ディマシュ・クダイベルゲンは、カザフスタンの歌手です。彼の音域は6オクターブ半と言われていますが、聴くと成る程と納得します。音程は非の打ちどころ無く正確、多彩な声色を持ち、技量に優れ、声量や息の長さも他を圧倒します。そして歌に緩急・強弱があり色艶さえ備わっています。正に前代未聞と言うべきでしょうか。
 歌のジャンルは、多岐にわたります。玉置浩二の『行かないで』さえ、彼一流に歌うのです。大学でクラシックを学び、現代音楽も学び、ポップスを歌うのです。またカザフの民族音楽を歌い、更に国境を越えた曲を歌い上げます。
 ロンドン、モスクワ、ニューヨークなどでもコンサートを行っています。そんな彼は、2019年11月に『ABU TV ソングフェスティバル2019』に出演するため来日、2020年5月には『TOKYO JAZZ+plus LIVE STREAM』(東京JAZZ公式YOU Tubeチャンネルで配信)のために来日しています。しかし、残念なことに彼独自のコンサートは日本でまだ行われていません。  コロナが終息した暁には、日本でも彼のコンサートが開かれればいいなと思っています。是非一度で良いから、生で彼のステージを聴きたい・観たいと思うのです。
posted by nikki at 13:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする